公演から一週間経過

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この時世ですので、手放しで公演終了しました!と言えるのはもう少し先ですが、岩手県内の状況を見る限り、今の所は、昨年ほどビクビクしていないのも事実ではあります。あと一週間と少し、何も無いことを願うばかり。

 

本番前の練習中にカメラマンの髙橋さんに沢山写真を撮って頂きました。

様々いい写真はあるんですが、今の所、僕のお気にいりの一枚はこれです。

なんか、弁慶みたいで格好いいと思いました。齊藤さんこんなことしてたんですね。

この写真だけでも「ぐっ」とくるものがあります。

 

さて、一部の方から好評だったので、来られなかった皆様の為に、パンフレット言葉こちらに掲載します。前回の草稿とそんなに大きな変化はないんですが…

 

ご挨拶

 

本日は天体望遠鏡16回公演にご来場頂き誠にありがとうございます。

昨年より続くコロナ禍の中、まだまだ、人が集まる事、観劇もその一つかと思いますが、抵抗のある中で、ご来場下さいました皆様には、いつも以上に感謝申し上げます。また、ご入場時の検温や手指消毒、マスクの着用等、公演を安全に運営する為に様々ご協力頂き、重ねて感謝申し上げます。

 

2001年に旗揚げした当劇団、今年で20年の節目を迎えます。これもひとえに、ご来場のお客様有ってこそ。

毎回自嘲を込めて「鳴かず飛ばす」の云十年と言っていますが、それでも毎回のように公演に足を運んで下さる熱心なお客様もおられます。前の公演よりも何か新しいチャレンジをする、この目標を胸に秘め、失敗の方が多い歳月でしたが、そんな姿をお客様に見て頂きたい、それがこの20年のモチベーションでもありました。

 

思い返せば、20年前の7月、北上市民会館中ホールで、「ホーカスポーカス~もうさみしくない」という演目で旗揚げした天体望遠鏡です。演劇未経験の私、当時25才でした、一からメンバーを募集し、一年掛けて公演に漕ぎつけました。なぜ演劇を始めたのか、一番の理由は「友達が欲しかった」からです。そういえば「相談相手が欲しい」といって参加したメンバーもいました。舞台のブ、演劇のえの字もわからない私たちの旗揚げを物心両面で支えて下さったのが、北上市の劇団ふぉんずさんです。ふぉんずさんの協力がなければ、今、私はここでこうして皆様をお迎えする事はありませんでした。産みの親として感謝は尽きません。

 

あの旗揚げ、いつ思い返しても、しっちゃかめっちゃかで公演と呼べる代物でもなく、言葉にするなら「疾風怒濤」なんか中学校の体育祭テーマみたい…照明担当の及川君が、終演後、鼻血を出して「終わった~」と叫んだの、地下労働から解放されたかの、あの鼻血が、旗揚げ公演の過酷さを象徴しています。

※彼本当は、天体望遠鏡に参加する気はなく、彼女の付き添いで最初の集まりに参加しただけだったのにね。その二人が結ばれ、今一番上の娘さんが高校で演劇をしています。時の流れを改めて感じます。

 

その後、公演準備の過酷さは増すばかり。しばらく二階建ての舞台を組んでいた時期がありますが、搬入が地獄、設営が地獄、本番への体力なし。本末転倒な「バカ野郎」な時代がしばらくありました。

 

私たちの公演、舞台セットの歴史は2002年の富士大学演劇部と合同で行った富士大文化祭公演に遡ります。当時の富士大演劇部と共に教室を一室借り切って、大量の段ボールで壁を作り、270度位の舞台を作りました。文化祭の準備、深夜1時近くまで教室でワイワイやりながら、舞台を作った経験がめちゃくちゃ楽しくて、まさに「ビューティフルドリーマー」だっちゃ。あの経験が忘れられず、今も出来るだけセットには力を入れているつもりです。

 

 20年で15回の公演と2回の合同公演を行いました。盛岡公演が9回、北上展勝地野外テント、東京公演、等々。旗揚げ前、私には準備していた台本が3つあり、それを形に出来たら、心残りはないと思い始めましたが、25才の青年は45才のおっさんになって、まだ続けています。

 

「おおい、川辺、友達は出来なかったけど、仲間は出来たぞ」

 

この文章を書いている日、岸田総理の演説がありました。

 

「早く行きたければ一人で進め。遠くまで行きたければ、みんなで進め」なるほど。

 

昨年より続くコロナ禍で、人が集まる事の尊さやエネルギーのようなモノをより身に染みるようになりました。この「特殊」な瞬間がお客様の「特別」になる事を願います。そうできなければまた頑張りますので、お許し下さい…長くなりました。それでは開演まで今しばらくお待ちください。またお会いしましょう。

           

作演出 川辺健