方舟を燃やす

先日買った角田光代さんの小説「方舟を燃やす」を読み終えました。

帯にあった「信じることの意味を問う」

最初に勝手にイメージした「信じる」とは違いましたが、なるほどなあ〜。読みやすかったですし、面白かったです。

 

人はというと主語が大きいですが、僕含め、人は信じたいものを、なんらかの理由をつけて、信じる。作中にあったコロナ(ワクチン)一つとっても、そう。経験したこともなく、今後何がどうなるのかわからない事象を目の前にした時。信じたいものを信じる。そこに根拠のない裏付けをしていく。

 

話は違うけれど、競馬の勝ち馬を予想するのだって、毛艶がいい、血統がいい、前回の調子がいい、騎手との相性がいい。自分の信じる理屈で予想する。そんな感じに似ているのかなと。

 

昔も今も、羅針盤もなく、大海で、それでも陸(正しい道)を目指す時、信じるというよりは、なんらかにすがる、人の教えや、経験則や、信じたい情報や、誰もが、最良と信じて暗闇を、足元だけしか照らせない仄かな明かりで、暗闇を、これがゴールと信じて進んでいる。

 

 

そういえば、小学生の頃、オリエンテーリングという、地図とコンパスを渡され、目的地までいく行事がありました。5名一組位だった気がします。なんとなくみんなであーだこーだ言いながら進みましたが、実際は僕らの組だけ、全然別の方に進んでしまい、遭難とまでは言いませんが、本来の集合時間をオーバーして先生たちが捜索に来てくれた、ちよっとした「事件」

 

あの時、他の組とは全然違うルートを通って、よく考えたら、僕らが間違っているはずなのに、その時は自分達が正しくて、他が間違っていると盲信してしまったんですね。だってこっちも人が歩ける道もあるし、なんだかわからないけれど、杭?印?みたいなものも行く先に点在していて、頭のいいやつもメンバーにいて、そんな根拠で、こっちの方が正解で他は間違いだと思い込み、どんどん本来のルートを外れていった経験。

 

あの時は子供でしたが、いい歳になった今も、状況は変わらない。

最善を選んだつもりで、何かを信じて、身近な人の幸いを願って、それでもうまくいかないことの方が多いよね。自分の人生すらままならないのに、他人のそんなの無理なのに。そんな事に思いを馳せたお話でした。